年迎え■平安象彦■佐野長寛写食籠■蓋物■共箱■茶道具■栞付き■ オファー

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商品情報

皇族や国賓の利用も多い京漆器の最高峰、 京都岡崎の象彦の
佐野長寛写し喰籠です。
縦横約19.5cm高さ約13.5cmです。
艶のある蝋色の地に吉祥文様が精緻な技法で施されておりお正月や結納などの慶事にふさわしいお道具かと存じます。
底部には象彦の銘が入っています。
栞つき・共箱です。 新品ではなくかるいすれやあたりなどの使用感はございますが全般的なーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーhttp://makie-museum.com/mchokan.html
佐野 長寛(さの ちょうかん) 1794~1856
家系:
佐野長寛の家系は、「鉢木」で有名な佐野源左衛門常世の末裔とされ、 代々近江国浅井郡小谷村に住みましたが、 3代前に京都に出て塗師となり、 長濱屋を称して代々その職を継いでいました。 略歴:
寛政6年(1794)、佐野長寛は長濱屋治兵衛の次男として新町通三条上ルに生まれ、 治助を通称とし、後に治兵衛を称しました。
幼い頃から父に従って漆工を学びましたが、13歳の時に父に向かって、 日本一の漆工になる志を語った伝えられます。 また高雅な作品を作るために詩歌を学び、儒者・数奇者がいると聞けば、訊ねて教えを乞いました。 父から全ての秘法を学び、さらに京都市中の漆工を訪ねました。 もっとも教えを受けたのは中村宗哲でした。
21歳の時、父の死により家名を継ぎ、翌年から諸国遊歴の旅に出ました。 まずは紀州・吉野・奈良など畿内を訪ね、 さらに諸国の漆器産地を歴訪し、最後に江戸に至りました。 当時、幕府の本丸御用の印籠蒔絵師が紫漆を使うと聞き、 訪ねて丁重に教えを乞いましたが断られ、 憤慨して研究し、ついにはその方法を自ら開発したとも伝えられます。
文政5年(1822)、帰京して再び新町三条上ルに居を構えて開業しました。 すぐにその作品は評判となり、 高麗の名工張寛の5代の末葉でもあったのでその再来と評されました。 自らその名を号しましたが、そのまま「張寛」の字を使うのは僭越なので、 「弓」偏を棄て、「長寛」と号しました。 また天保4年(1844)には江戸の益弁という人から、 堆朱作者究様伝書18か条の1巻を授けられました。
翌、天保5年(1845)には、大塩平八郎の依頼により、 石清水八幡宮に所蔵されながら、 宝暦元年(1751)に焼損した源義家の鎧の残欠を納める唐櫃を作り、奉納しました。
安政3年(1856)3月2日に没し、釈休専と諡されました。 その跡は子の秀太郎が継ぎましたが、翌々年に36歳の若さで没し、絶家したと伝えられます。 風貌:
断髪して髭や髪を剃らず、粗末な着物を纏って一向に気にしなかったと伝えられます。
この肖像画は、長寛の次男・西村宗三郎(1834~1876)が、 長寛没後半年の後、安政3年(1856)初秋に描いたものです。
宗三郎は長寛の親友・永楽(西村)保全(1795~1854)の養子となっていました。 大正14年(1925)に恩賜京都博物館(現在の京都国立博物館)で長寛七十年祭が行われた際に西村家から出品され、作品集『漆匠 長寛』に掲載されて以来、一度も世に出たことがありませんでした。 2015年5月に発見され、このページで初めてカラーで紹介します。紫地菊模様の小袖に萌黄色の羽織という意外に 派手な服装だったことが判明しました。稀代の名工の風貌を知ることができる唯一の資料です。
大徳寺、大綱宗彦和尚(1770~1860)が上部に添えた賛には、次のように記されています。
「漆匠長寛高麗名匠張寛 五代之末葉也安政三年辰三月二日壽六十三而死 法号釈休専 其男石蚓寫其像請讃 巧妙切斎造化切 全機自一家風 専心成器人皆賞 漆匠高名名不空 前大徳八十五叟大綱(印)」 住居:
京都新町通三条上ルに生まれ、諸国遊歴の後に同所に住みました。 表札には「長寛、長治どちらでもよし」と掲げていたと伝えられます。 しかし長寛が箱書等に使う印文は「長次」なので、おそらく長治は誤りで 「長寛、長次どちらでもよし」だったのだと思われます。 逸話:
長寛は常に技術と意匠に工夫し、注文する人が雅ならば喜んで作り、 俗人であったら千金を積まれても決して作らなかったと伝えられます。 そのために貧しくとも関せず、妻と相対して和歌を詠んでいたそうです。 また奇行が多く、さまざまな逸話が伝えられています。
【エピソード1】
ある時、豪商、前川五郎左衛門の家に注文を受けた吸物椀を持参しました。 この家は六角小川西入る所にあり、長寛と同じく佐野源左衛門の血を引くと伝えられるために、 日ごろから懇意にしていたのです。
そこには先客がいましたので、次室に座って黙って聞いていました。 すると、よもやま話のうちに、その客は漆工のことに及び、 面前の人が長寛とも知らずに 「長寛という人は呑んだくれで、箸にも棒にもかからぬ所業が多く、 世間では名工と言うが、そうでもないのではないか」と言い出しました。 それを聞いて長寛は、他人ごとのように微笑んでいましたが、 ふと立ち上がって、勝手知った台所に行き、大きな鉄釜に湯を沸かし始め、 ぐつぐつと煮えたぎると五郎左衛門と客を呼びました。 そして、携えてきた椀をガラガラと煮えたぎる鉄釜に入れ、 薪ぎれでかき混ぜ始めました。しばらく煮て椀を取り出すと、 自分がその箸にも棒にもかからぬ長寛であると言いました。 そして、拙い技ながら我が椀はよく熱湯にも耐えることを特長としていると言い、 もし持って帰ってもらって明日になって毛筋ほどの亀裂でもあれば、 この職を止め、二度と長寛とも称すまじ、と気色ばんで言いました。 すると客も恥じて謝ったそうです。【エピソード2】
天保6年(1835)の春、 日ごろ長寛が懇意にしている茶道具商の今津屋の祝いの席のために、 源氏絵吸物椀20客を贈りました。 いざ吸物を入れて客に出すと、蓋が開きませんでした。それも1人だけでなく、 全員の椀がどうしても開かなかったのです。 翌朝、長寛が呼ばれて行き、錐で椀の蓋に穴を空けると白い湯気が立ち上りました。 一夜もたっても、中の吸物はまだ温たかかったという話です。 その後、錐の穴を埋めて補修して納めました。
嘉永6年(1853)、再び今津屋を訪れた長寛は、 かつての件の自作の吸物椀の外箱の蓋裏に 「我が老の拙なき業も後の世に またあらはるる時やあらなむ」 と書き付けたと言います。 また一説にはこの歌は、 「我老のはなし無き菜の後の世に 又影はるる時やありなん」 であったともされます。
さらに時は流れて明治19年(1886)9月、 この椀が京都木屋町の道具商の市場に売りに出ました。 不景気にもかかわらず、入札するとが最高値で、最低札がでした。 ところがここにの札を入れた者が3人もいました。 の差で負けた3人は悔しがり、相応の利付けをするから、譲ってほしいと食い下がりました。 そしてその内の1人がで、と言い出し、 その者の手に渡って喜び勇んで帰って行きました。 あっけにとられる人々の中の1人が、 あの椀は「今津屋の源氏椀」で長寛の作品中でも名高い椀で、 の価値はある、と言っていました。 この話は当時の新聞に載るほど有名になりました。 長寛七十年祭: 長寛七十年祭は大正14年(1925)2月24日、京都の浄宗寺で法要を営み、 4月3日の9時からは妙法院で祭典が行われ、小書院では茶莚が、 御座間では点心が振舞われました。 また豊国神社、豊秀舎には4茶席が設けられました。
恩賜京都博物館(現在の京都国立博物館)では、北側の庭園で 京都漆工会の主催の茶席が設けられて茶がふるまわれ、 作品は4月3日から7日まで博物館内に展示されました。

この会の発起人は、今井貞次郎(道具商・八方堂)、稲垣和三郎(漆器商・美濃屋)、 磯上青次郎、林新助(道具商・楽庵)、林新兵衛(道具商・新焦堂)、西村彦兵衛(漆器商・象彦)、 西村福三郎(漆器商・象福)、岡本専助(漆器商・漆専堂)、高田新助(道具商・採古堂)、 田中弥兵衛(漆器商・田中漆器店)、土橋嘉兵衛(道具商・仲選堂)、 赤尾平左衛門、宮崎平七(漆器商)、三上治三郎(漆器商・揚光堂)、 そして京都漆工会でした。 陳列が終わった後、出品作品を選抜して作品集『漆匠 長寛』が刊行されました。 作品を所蔵する国内の美術館・博物館:

・京都国立博物館(龍鳳凰漆絵蒔絵食籠)
・三井記念美術館(鉄錆写提銚子)
・野村美術館(龍蒔絵桃形菓子器・散桜柴蒔絵食籠・城端写菓子盆・ 紅葉漆絵吸物椀・正法寺漆絵蓋物・伊勢物語吸物椀)
・湯木美術館(絵萬暦食籠・片輪車蒔絵菜盛椀)
・滴翠美術館(蔦蒔絵棗)
・逸翁美術館(八角食籠・正法寺蒔絵菓子器)
・MIHO MUSEUM(蒟醤写八角食籠・正法寺写椀・切箔大棗・小田裂漆絵重縁高・菊花喰籠・金襴手吸物椀・都鳥徳利)
・耕三寺博物館(砂張写青海盆)
・手銭記念館(小田切文盃台・楓散蒔絵引椀)

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